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 いとしいとしと啼く獣

 玄関を開けたとたん、風が吹きつけてきたように感じた。とぐろを巻くようにわだかまっていたフェロモンが、雪崩れるように押し寄せてくる。
 桔平のフェロモンは、発情していてさえ粘つきがない。気質によるものだろうか。真正面から対峙し、ときに背中を預けるときの、凛とした気配の残滓がある。
 密度を増した空気を肺に吸い込んで、千歳は殊更にゆっくりと寝室へ繋がる扉を開けた。
 赤らんだ顔をあげ、挑むような眼差しに射抜かれる────想像していた姿はなく、代わりに盛り上がる布団の塊が鎮座していた。少し洒落た柄の客用布団は、千歳専用と化しているものだ。その下から見覚えのある下着や服がはみ出している。かすかに上下するふくらみが、中にひとがいることを教えていた。
 巣作りだ。
 発情期を迎えたオメガが、つがいのアルファを求めて作り上げる揺りかご。相手のにおいに包まれることで、安らぎを揺蕩いながらアルファを待つことができる。本能さえも宥めてしまう陽だまりの寝床。
 身も心もつがいを受け入れ、求めている証ともいえるそれは、アルファにとって最高の誉れだ。
 ぞくぞくと、寒気のような痺れが脊髄を通って脳を揺らした。
 巣の横に、千歳は膝をついた。布団の端から覗く穏やかな寝顔がわずかに滲んで見える。
「上手に巣ば作ったな、桔平」
 オメガの巣は褒めるもの。アルファのマナーを説かれるまでもなく、歓喜が口から迸った。
「……ちとせ」
 のどかな昼寝から目覚めるように。ゆるやかに目を開けた桔平は、当たり前のように手を伸ばしてきた。腕をつかむ手のひらに、切羽詰まった必死さはない。それが嬉しい。
 空いた手で火照った頬をなぞると、切れ長の瞳が水気を含む。
「遅か」
「待たせたばい」
 文句の体をなした睦言は一往復で役目を終え、千歳は熟れたくちびるに食いついた。
「……っん、……ふ」
 開かれた隙間に舌を忍び込ませる。いつ味わっても甘い咥内には、濡れた肉が待ち構えていた。絡めとるつもりが引きずり込まれる。負けん気の強い桔平らしい。やられてばかりでなるものか、という気概が千歳の背筋を震わせる。
 舐めて吸って擦り合わせて、存分に絡ませてから舌を引き抜く。半開きのくちびるから零れた唾液、舐めとろうと震える舌、上下する喉仏。とろけた双眸が挑戦的に光るさまさえいやらしい。
「よかと?」
「律儀な奴ばい」
 艶めいた空気を一瞬霧散させて、呆れたように桔平が笑う。もうつがいになって二年だ。ましてや発情期に遠慮するな、といいたいのだろう。
 それでも譲れない一線だった。受け入れてくれたとはいえ、千歳は己が成したことを、桔平の第二性別から生き方まで変えてしまったことをきちんと理解している。
 アルファとしての翼を手折ったのだ。請うて請うて、許しを得るくらいがちょうどいい。望んだものを手にしている実感を、いつまでだって最大限のよろこびを持って受け止めたいのだ。
 桔平が築き上げた巣をそっと掻き分けて、踏み入ることのできる我が身の僥倖よ。
「来い」
 受け入れようと広げられる腕。くらくらしながら、千歳は飛び込んだ。

 頭のてっぺんからつま先まで、舐めてしゃぶって飲み込んでしまいたい。そんな衝動を、いつも腹の奥底で飼っている。
 千歳は健康的な色に焼けた肌を、感慨をもって見下ろした。露わになった上半身で千歳の舌が這っていないぶぶんはない。
 筋張った腕、割れた腹筋、可愛がりすぎて充血した胸の先。さんざん舐めしゃぶったというのに、見ているだけで口の中にじゅわりと唾液が湧いた。衝動のまま顔を近づけて吸う。「ひッ」悲鳴に似た喘ぎが降ってきた。
「し、つこか……っ」
 鋭い一瞥。潤んだ瞳では迫力こそなかったが、千歳の心臓を正確に射抜く威力があった。
「すまんばい、桔平」
 決してなぶるつもりだったわけではない。発情期にはどうしても本能が掻き立てられるのだろう、普段の交わりよりも格段に敏感になる。打てば響くような反応につい夢中になってしまった。
 べろり、と詫びの代わりに腹筋を舐めあげる。弾かれるように跳ねた動きさえも楽しんでから、閉じられた足を両の手で押し開いた。
 お互い、服は最初の段階で脱ぎ捨ててしまっている。かぱりと開かれた股ぐらの中心に、透明な雫を零す一物がそそり立っていた。千歳ほどではないが、なかなかに立派なサイズのそれはもはや使われることはない。千歳に揺さぶられるがまま、揺れて精を吐くだけ。
 腹の奥の獣が満足そうに唸る声を聞きながら、股の奥へ手を伸ばす。物欲しげな視線は敢えて知らぬふりを決め込んだ。今の桔平が本当に欲しいものを、千歳は知っている。
 濡れそぼった淵に指を含ませると、「ァ……っ」と桔平は喉を晒して喘いだ。淫蕩な穴は食むような動きで指を飲み込もうと誘ってくる。
「ん、もう柔らかかね」
「早うっ……!」
 疼く下半身を置き去りに、上半身をとろ火で炙られていたようなものか。煮詰められた目の色が、腹につくほど反り返った千歳の一物をなぞった。ぐにゅぐにゅと、後孔が蠢いて指に吸い付く。まだ陰茎を挿れてもいないのに、背筋が震えるほど気持ちがいい。
 念のため二本、三本と含ませても、桔平はとろりと目じりを蕩かせるだけだった。膨らんだしこりを曲げた指先で撫でてやる。
「あーっ……!」
 感極まった悲鳴。どぷり、と溢れた粘液が指を伝い、手首まで濡らした。引き抜く感触にさえ震える腹筋が愛おしい。
「挿れるけんね」
 声にならないのだろう。頷きが二度、三度と返る。
 四つん這いにさせた方が桔平も楽だ。頭によぎった考えは、誘うように揺れる腰に搔き消えた。足を曲げ、開かれた股のあいだに陣取る。痛いほど勃ち上がった一物を、しとどに濡れた後孔へ含ませる。
 は、は、と荒い呼吸が耳をついた。桔平だけではない、千歳の息も上がっていた。
 軽く腰を突き出せば、待ちわびたように陰茎が飲み込まれていく。腰を掴む手に力がこもり、思わず千歳は天井を振り仰いだ。
「────っ!」
 手のひら越しに、抑え込む体が跳ねている。肉壁は吸い付くように千歳自身に絡みついた。声も出せず、桔平は達したようだった。歯を食いしばり、このまま出してしまいたい衝動に耐える。
 やがて柔らかく揉みこまれるような動きに変わり、千歳は大きく息を吐いた。
「……動くばい」
 既に忘我の心地に浸っている桔平の返事はない。本能に取り込まれ、快楽にただ浸る姿はうつくしかった。上気した肌が、力のない舌が、とろりと滴る唾液が、全身で千歳を誘っている。
 ふだんは清冽な眼差しが、欲と快楽に蕩けて焦点の合わないさまは、深い充足感をもたらした。
 今、求めたつがいが腕の中にいる。千歳が与える快楽でいっぱいになっている。
 どろりとまとわりつくフェロモンが、千歳の理性を塗りつぶしたのを、感じた。
「桔平……っ!」
 興奮に震える声で名前を呼ぶ。最後の引き金を、自分の手で引いた。
 肌に指を食い込ませながら、音を立てて腰を振る。ぺちぺちと揺れる桔平の一物が、千歳の腹を濡らした。
「……っァ、あーっ、……っン、ん、……ォおっ」
 切れ切れに零れる喘ぎさえすべて飲み込んでしまいたい。夢中でくちびるを合わせ、赤い舌にむしゃぶりついた。
 なされるがままだった腕と足が、堪りかねたように伸びてくる。背中に縋りつかれ、腰を引き寄せられて、千歳も小さく喘いだ。
 えらの部分で肉筒から粘液をこそぎだしても、後から後から溢れてくる。粘液がかき混ぜられる水音に、肌を打ち付ける乾いた音が混じる。耳からも快楽に浸されているようで、目がくらんだ。
 高ぶる獣の牙を突き立てても、鍛え上げられた体は気持ちよさそうにすべてを受け入れてくれる。千歳だけの、千歳が選んで堕とした、唯一無二のつがいだ。
「……っとせ、ッく、イくぅ……っ!」
「きっぺー……っ」
 がくがくと震える体を抑え込むように、指に力がこもる。腰に回された足に締め上げられ、背中に爪が食い込む感触がした。息を詰める。背筋を快楽が駆け上がる。奥歯を噛み締める。
 目の前が白く染まった。
 最奥までずっぷりとはまり込んだ陰茎の根元が、熱を持って膨らんでいく。「ひ……ッ」と桔平が喉仏を晒した。
「ァああああ……」
 腹の底から押し出されるように、桔平が濡れた息を吐く。どぷり、と吐き出した精は平らな腹が膨らんでしまうまで止まらなかった。


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